※再掲記事です
95: 彼氏いない歴774年 2008/03/04(火) 01:14:29 ID:Oxo8oSYJ
私の人生で数少ないちょっといい話、お付き合いいただければ幸いです。
そしてまた長文になると思います。
短い文章でまとめられる方が多くて本当に尊敬します・・・


私の浪人が決まったとき、私は母に土下座しました。

私の両親は兄と私が小さい頃から共働きです。
父は普段の家賃水道代ガス代その他を出し、母は私と兄の教育費と食費を担当していました。
なので当然、私の受験費用も母が出してくれていました。
母は何も言いませんでしたがその年に受ける最後の願書を出した日に、
私はこっそり受験にかかった費用を計算したのです。
出てきた金額は、母の一ヶ月の給料と同じくらい。
浪人したら、きっと予備校にいくことになる。予備校にいったら、多分その費用も母が出す・・・。
母の給料はけして高額ではありませんでしたが、それでも家事もしつつ仕事をして母が稼いだ大切なお金。
二つ年上の兄が私立の高校に行った&大学進学した時「貯金ほとんどなくなっちゃった」と苦笑していた母。
母にこれ以上金銭的負担をかけちゃいけないと思った私は勉強時間を何時間も増やして勉強しましたが、結果は不合格。
夜、「疲れたー」と言いながら帰ってきた母に、
落ちた、と報告するのがたまらなく情けなくて、
顔も合わせられず、私はただ泣きながら土下座をして「ごめんなさい、ごめんんさい」と繰り返しました。
こんな状況ですから、直接言葉にしなくても母も私が落ちたことを悟ったようで、
短く「そう・・・」と言って黙ってしまいました。

しかし数分もしない内に、母は私の前にしゃがみ、両側から私の頭を掴み、強引に私の顔を上げさせました。
涙と鼻水でぐしゃぐしゃの私の顔が、怒っている母の顔と向かい合いました。
ごめんなさい、ともう何度目かも分からない謝罪の言葉を言うと、母の顔がもっと怒った顔になりました。
怒られる、よりもやはり自分が情けなくて私はもう一度頭を下げようとしました。
しかし母の両手はそれを許してくれませんでした。
「喪女」と母が静かな声で私を呼び、
続けて先ほどと同じ声色で「喪女、あなたが私の娘なら顔を上げなさい」と私の顔を掴んでいた手を離しました。
何も考えることができなかった私は、『ただ母が言ったから』という理由だけで顔を伏せようとしなかっただかでしたが、
私が顔を上げたままでいるのを見た母は笑いました。
だけど私は全然笑えなくて、
どうして母が笑えるのかも分からなくて、
それでも母の笑顔で少し安心してしまったのがなんだか申し訳なくて、私は涙を止めることができませんでした。
母は笑ったまま、
「あのね、喪女がもし今私やお父さんに申し訳ないと思って泣いてるんだったら今すぐ泣き止むべきよ。
喪女が挑戦したいと思ったことを、私達が手伝ってあげるのは当然でしょう?だって私達は喪女のお父さんとお母さんなんだもの。
喪女が何かに挑戦したいなら、どんなことだって、何回だって、手伝って上げる覚悟をね、喪女を生む前に決めたんだから。
だけどもしね、喪女が自分を情けないと思うんだったら、だから泣いてるんだったら、謝らなくていいけどたくさん泣きなさい。
次は失敗しないように、今沢山後悔して、反省して、泣いて、疲れて眠って朝起きたら頑張ればいいの」
と、小さい子供に言うように、ゆっくりゆっくり言いました。
母の言葉を聞いて、私はやっぱり涙を止めることはできませんでした。母は私が泣き止むまでずっと傍にいてくれました。
その日の晩御飯は、私の大好きなおかずばっかりで、自室に帰ってから私はもう一回泣きました。

次の年、私は本命の大学に受かることができました。
お母さん、本当にありがとう。

99: 彼氏いない歴774年 2008/03/04(火) 01:47:38 ID:u3lVAhic
>>95
泣きました。

よくわかんないけど明日から頑張ろうって気になったよ

138: 彼氏いない歴774年 2008/03/05(水) 20:59:52 ID:hatEeTYy
>>95
涙をこらえられなかった
あなたのお母さんのような
大きくて暖かい女性になりたい
大学受かって良かった
素敵ないい話しありがとう


引用元:【感動】喪女のちょっと良い話【喪話】
human7.2ch.net/test/read.cgi/wmotenai/1204169555/