引用元:何を書いても構いませんので@生活板103
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2021-3-16-1
787: 名無しさん@おーぷん 21/03/15(月)00:23:37 ID:LG.tb.L1
私は生まれたときからピンク色(撫子色)がとても似合っていたそうだ。
家族や親戚どころか、生まれたばかりの私の姿を見た人までも皆が「この子にはピンクが似合う」と判断するほどで、
出産祝いは見事にピンク色、新生児の写真を撮りに写真館に行った際、プロが私に選んだ衣装も全部ピンク色。
そのピンク色がまた見事に撫子色に近いものばかりだった。
おかげで名前が撫子になるところだったが、それはなんとか回避された。とんだ名前負けするところだった。
とにかく私は生まれたときからピンク色に囲まれて生きてきた。
七五三の着物もドレスもピンク色だったし、祖父母が買ってきたランドセルもピンク色だった。しかも学校で一人だけだからめちゃくちゃ悪目立ちしてた。
ただ私にも自我があるわけで、いろんな色を身に着けてみたいという意見を母は聞き入れてくれて、普段はピンクを身に着けてはいなかったんだけど、
それなのにやっぱり周りは私にピンク色が似合うと判断してプレゼント系は全部ピンク色だった。
多分プレゼントされたものだけで身の回りを固めたら、私はパー子さんになれたと思う。

小学生になってからはランドセルの影響で余計私=ピンク色の認識が周りに広まったんだけど、そのせいでいじめられた。
小学校ではピンク色がかわいいのアピールであるという独特の認識があり、私は可愛子ぶってるぶりっ子だと年上から目をつけられた。
まぁ、ランドセルの時点で当時は相当イキってたように見えただろうからその時点で目をつけられたのは仕方ない。
それに加え入学祝いに周りからプレゼントされた給食袋も体操袋も上履き入れも画板入れも全部ピンク色だったから、
上級生からはかわいい子アピールが激しい生意気なぶりっ子のクソガキに見えたんだろう。
だけど小1の私は与えられたものを使うしか無いので、毎日上靴が無くなってても体操服がごみ捨て場に捨ててあっても耐えるしかなかった。
もうここまでくるとピンク色が憎かったし、何よりピンク色が似合う自分が嫌で仕方なかった。
ピンク色が似合うなんて認めたくなかったけど、自分でも自分にはピンク色が似合うというか、むしろピンク色しか似合わないことは自覚してた。
自己嫌悪しながら1・2年の間は過ごしていた。
だけど小3の頃、衝撃的な出会いをした。
兄の影響でその時一緒にコードギアスを見ていたんだけど、そのアニメに登場するユーフェミア皇女殿下、
彼女の登場に雷に打たれたような衝撃を受けた。人生初の一目惚れだった。
見た目も可愛い、心優しい、声も素敵、一瞬で心奪われた。
最後、死の間際でスザクを前にギアスの洗脳に抗い続ける強さと他人を思いやり続ける優しさに心打たれた。
私の中でユーフェミアは尊敬する人となった。
そんな彼女は髪もドレスも口紅もピンク色で、それがとてもよく似合っていて世界一可愛かった。
ユーフェミアはアニメのキャラで私は現実の人間、それくらいの分別はついてたけど、でもその時初めてピンク色が可愛いと思えたし、
嫌で仕方なかった可愛らしい服やピンク色コーデが受け入れられるようになった。
それを一番喜んだのは母だった。それからというもの、私のためにピンク色の可愛らしい服を大量に買い込むようになった。
私もそれを着て、可愛いを楽しめるようになってた。それまでは無意識に可愛くなることは悪いことだと思ってたから、認識が180度変わった。

大学受験を終えた頃、お化粧品を買うためにパーソナルカラー診断を受けたんだけど、その時も見事に撫子色に近いピンク系統が似合うと言われて、
周りの見立ては何も間違っちゃなかったんだなと周りの見る目に関心してしまった。
一番似合う口紅としてユーフェミアと同じピンク色をすすめられたんだけど、
ユーフェミアとの出会いがなかったらピンクの口紅をつけることでこんなに嬉しい気持ちになることなんてなかったと思うし、
ユーフェミアとの出会いがなければ、彼女のような女性になろうと自己研鑽することもなく、根暗で自己嫌悪の激しいつまらない女になってたと思う。
私の人生は彼女に救われた。