引用元:チラシの裏 12枚目
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324: なーなしさん! 2021/05/13(木) 14:32:50 ID:
もうすぐ五十婆の一人語りです。
ただ語ってるだけだから嫌な人スルーしてね。

十代頃、母親は女優、父は重役、妹はモデルだった。私はただの学生だった。家族の中で一番地味だった。上と下が華やかなので、それなりに悩んだが、結論はこうだった。
「母は情熱がある、妹は器用さがある。顔立ちはそんなに違わないかもしれないけど、私は空っぽだ」
「得意な物は無い、アピール点も無い。早いとこ独り立ちして仕事して稼いで夫を見つけないとならない」
「何故なら、若さとちょっとの綺麗さが無くなったら私には何もないから」



別に毒家族では無かった。割と仲良くしてたし、勉強は中の上、運動はドンケツの私が工作や家庭科で賞を取ったら褒められた(でも、実質は工作の賞がなんになるのか?と言う家庭だった)私は手先は器用っぽいから、技術職になろうと決めた。

友達やいい雰囲気になった男子は、親しくなると家に来る。そうすると母と妹を見て、私から関心が離れるのが良く分かった。そのうち、関心が離れなかった一人の女の子だけは今でも友達。ありがたく思ってる。

私が就職する頃、母は舞台を降りて地元でボランティアをやっていた。妹もモデルを卒業し結婚し、とても若い綺麗なママになっていた。それぞれ、コミュニティの中でもトップ位置に居るんだなと感じられた。私は家を出た。

「私は何にも無い」気持ちは強烈で、すごく必死に仕事した。一人分のお金を稼がなきゃいけないし、ほかに出来る事は無いと思ってた。
そしたら、やっと主任になったときに病気になった。子供が望めなくなった。こうなったら、夫探しも難しかろう。何にも無いと思い続けていたけど、持ってたんだなと思い知った。

三十路過ぎた頃、見合いっぽい話があった。
病気持ち、子供産めない、もう三十路を越えた、なんで紹介してもらえるのかと思ったが、上司の勧めだったから会った。どうしたことか成立した。
それから、転職はしたけど穏やかに暮らしてる。
病気もあって扶養に入れてもらい、在宅で仕事をし、ほどほどに家事も出来てる。

五十に差し掛かって振り返って、努力できるところが私の良いところだ。と思えるようになった。周りの人にも恵まれている。有難いことだ。

326: なーなしさん! 2021/05/14(金) 07:30:37 ID:
>>324
家族という身近にキラキラした人がいたら劣等感でひねくれた人になってしまいそうなのにずっと地道に頑張ってきてて偉い!
そして手先が器用なの地味に羨ましい!

2021-7-4-1